神保さんのビデオニュースでは、毎年年末にイベントをやっているみたいですが、今年の分のビデオが配信されていました。僕は会員ではないので、ダイジェストのみを見ました。

 

言われていたことの中で僕が気になったことは、まず宮台さんが、日本人は自立していないので、普段は何が起きても変化せず、社会的な大転換が起きた時に、昨日まで何をしていたか忘れてしまったかのように、大きく変化するということ(そんな意味のこと)を言われていたことです。

 

多分「相転移」という言葉が使われていました。パラダイム・シフトと同じ意味なんでしょうか。基盤ごとまるごと変わるということでしょうか。

 

宮台さんは、「空気」という観念も、一人一人の考えの集まりと捉えていて、架空の中心にみんなで寄り添う気風があると、そんな中心は無根拠なのに、みんなが同じ考えを共有する形になり、それを「空気」と呼んでいる、という解釈です。つまり客観的には「空気」なんかないのに、自立心の弱さ、突出することの恐れから、架空のものを作り出してしまう、と解釈しているわけです。

 

しかしエーテル体やアストラル体というものが実在するという立場から見れば、「空気」はなにがしかの不可視のものを指し示す言葉であるかもしれない、と考えられます。

 

「空気」を尊重し、「空気」と馴染んで生きている人は、民族のエーテル体を尊重し、それと一体化して生きることを正しいと感じる人たちだと、とりあえず言ってみたくなります。この手のことで正確なことを言うには、不可視の存在を直接体験できなければなりません。そうできない人間にとっては、伝えられている特徴から、近似的なイメージを思い描くことしかできません。当たらずといえども遠からずというところに、どうにかして持っていきたいということです。

 

民族のエーテル体と言うのは、まず個人的なものではなく、共通のものがあるというところから来ています。そして、日本の人たちは、感情的にその都度反応するというよりは、毎日の習慣、毎年の習慣に、静かに従い続けるといった風なので、それはアストラル体の特徴というよりは、エーテル体の特徴だからです。

 

アストラル的なものは、波風を立てることで、エーテル体を揺さぶり変化を与えます。日本人が決起したのは、農村が飢饉や重税によって生活が立ち行かなくなった時でした。その時は、アストラル的なものが、内圧的に高まり、日常の平穏を打ち破るほどの力を発揮したのでしょう。逆にいえば、村中が全滅するほどの、層的な被害が起きない限り、日常のルーティーンは変わらないということだと思います。個人が苦痛を感じても、他の人たちが安定したエーテル体に帰属している時には、個人の感情は同調圧力的に押し込められてしまいます。明らかな層的変化が起きていると誰の目にも明らかになるには、膨大な死者が出るなどの異常事態が必須なんだろうと思います。

 

東日本大震災のように、明らかな異常事態が起きた時でも、日常の意識を保とうとしたり(行列に並ぶ)、元の日常にできるだけ戻ろうとしたり(復興)、という心理が働いていたようですから、アストラル的な憤怒が、後先考えない行動に駆り立てるということは、本当に稀にしか起こらないことなんでしょう。

 

1870年前後や1945年に起きたような、「相転移」のような大転換は、それまでとは全く違う状況になったことが、誰からみてもはっきりとわかるという条件と、その時、誰かがこの方向に行こうとはっきりとした意志を示すという条件が、重なって成り立っているような気がします。

 

茫然自失、意気消沈、あるいは、雲の子を散らすように人が去ってしまい、流れが変わったことが誰にでもわかる状況、そういうものがまず必要です。この手のことは、1970年頃の学生運動の世界でも起きましたし、1990年頃のバブル崩壊の時にも起きたでしょう。

 

これがエーテル体の乗り換えという現象なのだとすると、前の段階から、次のエーテル体が準備されていたことになるかもしれません。乗り換える先がないと、逃げていくところがないでしょうから。

 

明治維新の時は、国学的ナショナリズムが選択肢としてありましたし、敗戦の時には、政争に破れて沈黙させられていた民主主義者や国際協調主義者が復活してきたということでしょう。政治の季節の後には消費文化が選択肢としてありました。バブル崩壊の時は、活路を求めて新自由主義的な金融中心の資本主義へシフトしていったということなんでしょう。

 

今現在は、新自由主義的な路線によって、人々の生活が地盤沈下していくという現象が起こっています。この流れは、災害のように人間生活を破綻に追いやるので、人災とかジェノサイドとかいう言い方もされます。

 

ただし被害の出方が、面的ではなく、秘密警察に連行される人のように、ポツポツと人がいなくなるといった形で進行するので、不注意な人はなかなか起きていることに気がつかないかもしれません。

 

そして日本政治のやり方が、吉田茂以降、言葉で糊塗する方式なので、ガスが溜まればガスを抜きという形で、新たな状況に少しずつ慣らされていくので、よほど注意深くないと、「新しい現実」を受け入れさせられてしまいます。

 

そして日本でも次に来るべきものが提示されてはいます。反緊縮・積極財政というプランがひとつ。そして高負担・低給付で助け合うというプランです。前者については資本主義の激烈な競争と弱者救済が果たして両立できるのかという危惧が持たれており、後者については新自由主義者によって利用され、重税と企業への利益供与の組み合わせに堕してしまう恐れが指摘されています。

 

そして何より、日本人の氏族主義的、家族主義的な信念と、民族的、人類愛的な助け合いとが、いまいち相性が良くないという問題があるでしょう。家族で助け合うのはいい、しかしなぜ他の家族の不始末の尻拭いをしなければならないのだ、ということになるからです。

 

それで代替案には気乗りしない、理解しづらい、という状況になっており、可能性が「血のつながりを超えた助け合い」にしかないのだとすると、茫然自失となるほどの、カタストロフィーが前提として存在しなければならないのか、ということになるでしょう。宮台さんはこの考え方で、破綻が早く来た方が、転換が早いと考えていらっしゃるようです。

 

僕はとりあえず、代替案が出てきていることを喜ばなければならないかな、というふうに思います。日本の何も起きない、何の対応もできないという一般的世情からは、代替案すら出てこなくても不思議でなかったわけですから。これは自由な人間、考えを巡らせることができる人間が、日本にもいたということを示しているでしょう。

 

神保さんの発言では、社会が悪い方向に転がっていっていることに対する諦念のようなものが、強固に存在するのは、どういうわけかという問題提起が印象に残りました。

 

神保さんは、自分で問題だと思うことを言って、どうすべきかも併せて話すらしいのですが、なんであなたは正論を言うのか、そんなことを言ってもしょうがないじゃないかという、後ろ向きの発言で迎えられることが多いそうです。

 

以前だったら通らなかったことが、今では当たり前になってしまっているということがあり、以前の感覚を知る人が、これはおかしいから改めた方がいいと言うと、今の感覚に慣れてしまっている人から見ると、乗っていけないものを感じるらしいのです。

 

1990年の時点では、日本国としての次の方向性が提示できていなかったと思います。戦後復興が済んで、その後何をすればいいのかわからなくなっていたわけです。

 

経済的には、停滞が始まっていたので、以前と同様に、このまま沈むと大変だと言って、経済振興が試みられたということはあります(景気が大事)。

 

しかしそこで集団で頑張るというよりは、個々人が努力をして、生活防衛をするとか、才覚を働かせるとか、労働だけでなく投資にも力を入れるとか、そんな指導だったので、いまだに、厳しい経済状況なので、個人で頑張って打開すべきだという発想が広まっているのかもしれません。

 

政治について語る人は、多かれ少なかれ、社会的な助け合いの発想を語るので、自己責任で生活防衛に頑張っている人からすると、疎遠な発想で、いまいちピンとこないのかもしれません。

 

1990年までは、国として頑張って豊かになったことが称賛すべきポイントだったわけですが、1990年以降は、個人として頑張って豊かになったことが称賛すべきポイントになっているんでしょう。それと社会的助け合いとは、ほとんど関係がないので、空虚に響くんでしょう。

 

焼け野原からの復興という課題があり、経済に特化して頑張ってきたので、一段落したら、以前には手がつけられずに疎かにしてきた部分(政治もそのひとつ)に今後は取り組まなければならない、と言えば、筋が通っていると思うのですが、復興の流れの中で生まれ育った人は、以前の経緯を見通すことができないので、集中的に歴史を学んだ人以外は、復興の流れの中で生きてしまい、それ以外の発想に至ることができないんでしょう。自己責任の時代を生きた人も同様で、それ以外の発想に至ることができないのかもしれません。

 

こうしたことは、経済領域に特化しすぎて、他の社会的要素が見えなくなっているという現象として理解できるかもしれません。そしてそれは根が深い問題です。身分制時代の農民も経済活動に特化していたわけですし、立身出世のプロセスもまずは経済基盤を作ることが意識されていました。国家としての富国強兵も、軍事の基盤として経済が要求されていました。戦後復興も、経済です。ずっと気忙しくやってきて、落ち着いて文明を育成する暇がなかったようにも思えます。そしてある程度余裕ができて、着手できる時期が一定期間あったにもかかわらず、その時にはそんなこと(文明の育成)が必要だと思いつく人がほとんどいなかったということなんでしょう。
 
明らかな劣化、明らかな不正義が起こっているのに、それに怒ることもなく、控えめに困ったねと言うでもなく、むしろ社会はそんなもんなんだから、いきりたっていちいち取り上げる方がおかしいと、問題提起者に怒り出すような人が多いというのは、確かに理解に苦しむ現象です。
 
しかしみんなが、どんどん悪くなる状況に慣れてしまい、なじんでしまっているとまで言わなくても、単純に元から、かつての農民の関心領域の外に出たことがない人がほとんどだ、というふうに言っても説明がつくと思います。以前は、多少見栄を張って、賢く見えるように、社会的な発想を語ったりもしていたんでしょう。今では、反動的な姿勢が普及しているので、むしろ正義を否定し、現実はそんな甘いもんじゃないんだと、悪を容認することの方が、賢そうに見えるということかもしれません。急にみんなが愚かになったというよりは、賢いフリをするための流行が変わったということなんじゃないでしょうか。
 
受け皿は、いくつかあるので、そこに移行してくれたら、それでいいんですが、まだ今のところは、古い流れに乗っていても、まだ行けそうな感じがあるということなんでしょうか。